右から
事業統括部 イノベーション開発室 総括次長 中川 言一様
次長 松井 哲憲様
中央日本土地建物株式会社は、都市開発や住宅、不動産ソリューションを中心に8つの事業を手掛けています。基幹事業のひとつであるオフィスビルの開発・賃貸は基本的にBtoBですが、シェアオフィス「SENQ(センク)」の事業では、スタートアップの経営者などをターゲットとしています。そのため、BtoCに近い手法でリーチする必要がありました。
ターゲットにリーチする手法としてデジタルマーケティングを取り入れるため、試行錯誤が始まりました。手探りで情報収集をするなかで、HubSpotにたどり着いたといいます。
HubSpotを中核に据え、未知の領域であるBtoC型のマーケティング(経営者やワーカー向け)に挑んだ、中央日本土地建物株式会社の事業統括部イノベーション開発室に所属する中川氏と松井氏に、HubSpotの導入から活用までの具体的な流れをお伺いしました。
SENQ(センク)は、中央日本土地建物株式会社が展開するシェアオフィスです。霞が関や六本木など都内6か所に拠点を構えており、2025年には東京で新規拠点をオープン、さらにSENQ初となる関西エリアでの開業も予定しており、順調に事業を拡大しています。
コロナ禍によってイベントの休止が続いていましたが、現在ではコミュニティーの活性化やメンバー間の交流を促進する取り組みが再び動き出しました。例えば、メンバー同士のお茶会や「パブリックパートナー」と呼ばれる23の自治体との連携などを通じて、企業や自治体によるコラボ商品の開発など、事業協創へと発展した事例も少なくありません。今後、イベントの再開によって、さらにマッチング案件が増えることが期待されています。
SENQは単なる「シェアオフィス」としての利用に留まらず、集う人々がつながり、そこからイノベーションが生まれていくような空間を提供しています。
SENQ事業が立ち上がり、BtoCマーケティングの要素を加えた独自のBtoBマーケティングを開始するまでの流れを、中川氏は次のように振り返ります。
「住宅事業では個人のお客様が対象ですが、シェアオフィス『SENQ』をはじめとするオフィス事業は圧倒的にBtoB事業となります。
そんな中で『SENQ』の主なお客様は、社員数が少ないベンチャー企業や中小規模の企業です。ご利用を検討されている方はベンチャー企業代表者など個人事業主に近い方も多く、BtoCに近いアプローチが必要です。
それまで当社のオフィス事業では、賃料を調査するための市場調査やマーケット調査などは行っていたものの、個人に近いお客様との接点を創出し、関係を構築していく『マーケティング』の知見がほとんどありませんでした。そのため、全く新しい試みを始めなくてはならない状態だったのです。」(中川氏)
その後、経営企画や高級賃貸マンションを対象としたBtoCマーケティングの経験を持つ松井氏が参画。当時の同社の課題について、次のように話しました。
「『SENQ』事業を軌道に乗せるためには、より顧客目線を意識した情報発信や顧客接点の最適化が欠かせないと中川は確信していました。しかし、改善の拠り所とできるようなデータがないなど、思うようにマーケティング施策を進められないことに危機感を持っていましたね。
そこで、社内で私たちの考えるマーケティングへの理解を得ること、そして顧客と当社がWin-Winになるサービス開発につなげていくデータ活用の在り方を目指し、検討を進めてきました。
実際に社内で打ち合わせがある度に、『マーケティングで考えるとどうなるかな?』と、常に2人でマーケティングについて言及し続けたんです。地道な取り組みですが、それによって社内の関係部からの反応も少しずつ変わってきたように感じています。」(松井氏)
SENQのプロモーションは、当初パンフレットを作成してパートナー企業に向けた内覧会を開催する集客方法から始めましたが、すぐ壁にぶつかったといいます。
「経営者やワーカー向けのプロモーションに関するノウハウがなかったので、最初はパンフレット作成から開始。Webサイトも、パンフレットをそのままWebに移行しただけのものを使っていました。しかし、これではターゲットとなる層に全くリーチできないと感じました。
そこからマーケティングを勉強して、Web広告の出稿を始めましたが、そもそもパンフレットをベースとした静的なWebサイトのままでは、訪問してくれたユーザーに対してアクションを促すことができませんでした。もっと合理的に進める方法はないものか?と、見込み客の創出やナーチャリングに使えそうなツールをいろいろと調べ始めました。」(中川氏)
HubSpotには、CMSが備わっており、そのほかにもマーケティングに必要な機能が一通り揃っていたことが、導入の決め手になったといいます。
「社内のセキュリティ基準を満たすCMSを探していたところ、HubSpotにたどり着きました。CMSが使えることが大前提で、マーケティングの実施から効果測定までワンストップでできるところに魅力を感じたのです。
それと同時に、組織を超えた複数の関係者間で効率的に情報を集約するのにもHubSpotが有効活用できるのではないかと考えました。
私たちは戦略設計、Webサイト運用、Web広告など、役割ごとに外部の会社へ委託する体制をとっていますが、関係者がそれぞれ持っている情報がバラバラだと、やり取りの状況が把握できずに対応漏れが発生することも。そこでSFA(営業支援システム)を含めてHubSpotに集約することで、対応漏れの防止と業務効率化を同時に実現することを目指しました。
この時点で、HubSpotを単なるデジタルマーケティングのツールではなく、マーケティング戦略の中枢を担うツールとして位置付けました。SENQ以外の事業への横展開も想定しており、特に一般住宅事業のニーズにはピッタリです。BtoBを中心に展開している不動産仲介事業でも、BtoCのお客様が増えてきているので、活用できそうだと思いました。」(中川氏)
まずは一気通貫でマーケティング施策を実現できるよう、HubSpotを中心としたマーケティング基盤の構築とデータの整理を開始しました。具体的な取り組みについて、中川氏と松井氏は次のように話します。
「当時は、システム部門でSaaS系ツールの導入事例がほとんどなく、HubSpotのようなマーケティングツールがどういうものなのかを理解してもらうのに苦労しました。導入も自分たちで進めることを想定していたので、導入・セットアップの簡易さやシステム管理、メンテナンス負担の軽減という要素を考慮し、ライトに進められて障壁が低そうだと感じたところも、HubSpotを導入した理由の一つです。」(中川氏)
HubSpotの導入後は、まずHTMLで作ったWebサイトを、HubSpotのCMSに移管する作業から開始しました。
「HubSpot独自のシステム操作には少々苦労しましたが、導入をサポートしてくれたパートナー企業の協力もあって、なんとか移管を終えました。
その後は、HubSpotのブログ機能を活用してコンテンツマーケティングに取り組んでいます。本格的に成果が出るまでは少し時間がかかりそうですが、集客の仕組みは徐々に整いつつあります。
また、同時にトレンド分析も開始しました。検索キーワードの分析に留まらず、購買行動のフェーズごとに検索されるキーワードまで細かにチェック。顧客インタビューを実施してカスタマージャーニーマップも作成しました。
その後、潜在顧客層から、SENQを具体的に知ろうとする層、内覧する層、契約する層に分けてタッチポイントを洗い出し、それぞれの施策を設計しました。認知を取るためのWeb広告やSNS広告も同時に展開します。
コンテンツマーケティングに関しても、フェーズごとにブログやホワイトペーパー、動画など必要なものを洗い出した結果、優先的にブログを拡充していくこととしました。」(松井氏)
HubSpotの導入にあたって、社内向けの研修などは行わなかったといいます。実際にツールを操作しながら、わからないことは都度、HubSpotのサポート担当に問い合わせる形を取ったことが、導入から活用のフェーズに素早く移れた理由の一つです。
「HubSpotのCMSは、プログラミングの知識がなくても、コンテンツの追加やちょっとした修正が直感的にできると感じました。ダッシュボードにいろいろな情報が載っているので、わざわざ別のツールに数字を見にいく必要がない点も良いですね。
最初にワークフローを整える必要はありましたが、一度体制が整ってしまえば、SENQのフロントで営業を担当するスタッフも迷わず使えるくらい操作が簡単です。例えるなら、マイクロソフトのWordを使うぐらい簡単に使用・編集等できてしまう感覚に近いですね。
また、運用にあたって、あえてマニュアルは作らず、業務に応じたワークフローを構築することを重視しました。書面化すると後から更新作業が発生してしまいますが、ワークフローに統合することで、マニュアルを修正する手間が省けます。これも、直感的に操作できるHubSpotならではの利点だと感じています。」(松井氏)
HubSpotの導入によって、同じ「Webからの流入」でも、Web記事経由なのかSNS経由なのかといった細かいルートまで可視化できるようになりました。
「外部のパートナー企業の情報も、各業務プロセスをHubspotに集約することで、可視化され意思決定しやすくなりました。ただし、Webだけではわからないこともあるので、内覧時に実施しているアンケートも参考にしながら全体分析を行っています。
また、Web広告のクリック単価が従来の3分の2に減少しました。これまでは、SENQの内覧までにかかった費用に対して評価を行う形でしたが、HubSpotを導入したことで、マーケティング対象者の中でどのお客様が実際に成約に至ったのか、どのような会員種別になったのかまで一元管理できるようになったのです。
全体的なデータを分析しながら施策を見直して行った結果、成約に至るまでに最も効果的な施策がデータから導き出せるようになりました。クリック単価を従来の3分の2まで減少することに成功しています。当社が伝えたいことを一方的に伝えるのではなく、顧客が求めていることを理解し、それらに沿った情報を適切な相手に適切なタイミングで、複数のチャネルを活用しながら提供し、PDCAを回すデータドリブンマーケティングを進めることが大切です。情報のミスマッチが起きることで、離脱率が高まってしまうため、顧客の購買プロセスにマッチした情報提供を行うことで、結果的に各種指標が改善すると考えています。」(松井氏)
データを活用しようという意識は、現場スタッフの間にも広がりつつあるといいます。
「お客様から頂いた問い合わせに一次対応している現場スタッフはシフト制になっていますが、HubSpotを確認すればお客様の状況がすぐに把握できるため、スムーズに業務が進行しています。
さらに、現場のスタッフから、『内覧から受注までの遷移率など具体的なデータを見たい』という声があがるようになったのも嬉しい変化です。見込み客へのフォローアップ体制を改めたり、より効率的に商談機会を逃さない形へ変化させたりと、データを活用しようという意識が見えます。内覧前のアンケートも自動送信してお客様に記入してもらえる形にするなど、少ない人数でしっかりとプロセスが回るような設計を進めているところです。
また、顧客対応の状況のみならず、各担当者レベルでタスクと進捗状況が見える状態になり、どこで作業が止まっているのかが一目瞭然です。マネジメントの効率化にも寄与していますね。各拠点の一次受付の状況も、HubSpotで可視化できるようになりました。」(松井氏)
HubSpotのようなツールを活用する際は、アナログで良いのでマーケティングプロセスを書き出して、各プロセスの主要なデータを一覧化することが重要だと松井氏は話します。
「HubSpotの導入前は、複数のシステムに情報がバラバラに格納されている状態でした。そもそも現状が可視化されていない状態だったため、まずはエクセルで必要な情報をまとめる作業を行いました。業務プロセスごとの情報のつながりを理解してからワークフローを整えないと迷走してしまうので、まずしっかり可視化することが進め方において大事なポイントだと思います。
具体的には、SENQを利用中のお客様について情報を分析し、その当時抱えていた課題やSENQを認知したチャネルなどを書き出してみました。それをもとに、『何割の人がWeb経由で、何割の人が口コミなのか』、『どのようなニーズがあるのか』といった傾向を、数字を通じて把握することができました。
その結果、Web広告だけでなく、会員様の口コミやSENQのイベントに参加したことがきっかけで利用につながったケースが、かなり多いことがわかりました。このような分析を経てはじめて、具体的な施策を検討する段階に移ることが可能になります。現在取り組んでいるイベントの充実や口コミしやすいインフラの拡充などの施策は、データをもとに導き出したものです。
ただ、この分析は、効果的なチャネルを見極める作業でもあるため、相当な手間と時間がかかります。HubSpotなら、自動でタッチポイントを可視化する仕組みを整えることが可能で、Webからのアクセスだけでなく、SNSからの問い合わせもデータ連携で一元管理できます。PDCAを素早く回すには、やはりHubSpotのようなツールが欠かせません。」(松井氏)
今後は、HubSpotに蓄積されたデータを活かして顧客体験のさらなる向上を目指したいと松井氏は話します。
「オフィスは、単に働くだけの場所ではなくなりました。言い換えれば、『“働く”のほかに、オフィスに行く理由が必要になる』ということですね。
近年、人的資本経営が課題として認識されています。ワークスタイルの多様化が進む一方で、経営者としては、やはりオフィスに来てもらいたい。ワークエンゲージメントが高まるような付加価値がオフィスに求められるようになり、それをどのように作っていくのかが課題になっています。
この傾向は、従来型のBtoBにおいても同様です。単に企業の窓口になっている担当者の話を聞くだけでは不十分で、そこで働く人とも向き合いながら幅広い情報を得ることで顧客のニーズを捉えていく必要があるでしょう。マーケティング的な思考を持って、オフィスという「場」に対してどのような潜在ニーズがあるのか、どのような体験が求められているかをデータで客観的に分析し、それをサービス開発や不動産の付加価値につなげていくことが大切だといえます。そうしたデータの分析においてHubSpotの活用価値は大きいのではないでしょうか。
デジタルマーケティングと相性が良いのは、回転率が高く、同じプロセスが繰り返される商材です。不動産業でいえば、同じ物件をいろいろな方に繰り返し貸し出す、コワーキングや賃貸マンション、ホテルといった領域が向いていると思います。」(松井氏)
生成AIが登場するなど、近年のデジタルマーケティングは急速に進化しています。コミュニケーションのベースもデジタル化が進み、価格設定への臨機応変な対応など、中長期的にデジタル化が求められるシーンは増えていくでしょう。
今後の不動産業界の展望とHubSpotの活用について、中川氏と松井氏は次のように話します。
「不動産業界は長い歴史がありますが、近年のデジタル化とワークスタイルの変化は、マーケティングの面でも大きな転換点です。デジタルマーケティングを活用して顧客とのタッチポイントを増やし、営業手法も商品も積極的に変化させていく発想で突破口を開いていくことが大切ではないでしょうか。
HubSpotの導入やデジタルマーケティングへの取り組みは、ほかの部署の意識改革にもつながっています。『Webはやっぱり重要ですよね』『問い合わせフォームから来た問い合わせにどうやって対応すればいいですか?』など、社内からの意見や相談がすごく増えています。規模の大きいビルの問い合わせ対応にも、HubSpotを取り入れてみようと思っています。」(中川氏)
「HubSpotの導入には、業務や営業の効率を上げるという短期的な効果もありますが、中長期的には、お客様の声を反映したサービスの開発につなげたいですね。簡易的な取り組みとしては、専用ページを作成し、会員様にとって必要な情報を提供するなどを考えています。
また、HubSpotでは、ホームページ上のQ&Aコーナーでユーザーが『見つけられなかった』情報が履歴として残るので、ユーザーが気になっている情報を拡充するという施策につながります。」(松井氏)
HubSpotを中核に据えたデジタルマーケティングへの取り組みによって、従業員の意識改革が進み、顧客や取引先とのスムーズなコミュニケーションが実現しつつあります。顧客への価値提供と不動産業界の「マーケティング」の概念を変えるという同社の挑戦は、始まったばかりです。
取材・執筆/浅井のぞみ